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 2013年12月 

報告。 

感想はまた後ほど。
とりいそぎブルーノート東京公演の報告を。

完全燃焼!

ちと仕事が終わってから感想書きます。





尾崎豊 

「月一更新を心がけよう」と思ったのにあっという間に
前回エントリーから一ヶ月経とうとしています。
時が経つのは早いですねぇ。気がつけば師走だし。


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12月1日wowowで放送された
・尾崎豊 デビュー30周年記念日-THE DAY-
・復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20.
を観てみました。

普段このブログに書いている内容とは
かなり違う方向性なので(笑)興味の無い方は
「あぁuzazoくんもこじらせていた時期があるんだな」と
華麗なるスルーをお願いします。

そして熱烈なファンの方もいる尾崎豊さんについて
ボクが書くのもおこがましいですが
書くのはたぶん最初で最後になるのでご勘弁を。

「I LOVE YOU」とか「卒業」とか「僕が僕であるために」とか
沢山名曲がありますが上げるとキリがないので飛ばします。


音楽に興味を持ち始めるのって人それぞれだと思うんですが
ボクは非常に遅くて人並みには聞いていたものの
初めて新譜を心待ちにしたアーティストは尾崎豊さんでした。

彼は6枚のオリジナルアルバムを遺しましたが
ボクが最も良く聴いたのは
「LAST TEENAGE APPEARANCE 」という
ライブアルバムと数種類のライブ映像です。

今から思い返すと「言葉」に惹かれていたのかなと思う。
もちろん音楽として聴いてはいたんだけれど
「詩人」として好きだったのかな。と。

マスコミでは「若者の教祖」などと言われましたが
当時のボクは一度も教祖などと思った事はありませんでした。
夜の校舎窓ガラス壊して周りもしませんでしたし
盗んだバイクで走り出しもしませんでした。(笑

ただ言葉に強く惹かれている若者の姿は
そう見えていたのかもしれないですね。
でも、「若者の教祖」などというレッテルバ貼りする人を見ては
「あぁこんなオトナだけにはなるまい」などと思っていた。

昨晩の番組で10代の尾崎豊さんのMCを久々に聞いた。

尾崎豊 - ハイスクールRock'n'Roll('85代々木・MCフル)


尾崎豊 15の夜(85年 代々木体育館)


尾崎豊 - 十七歳の地図('85代々木・MCあり)


尾崎豊 - Freeze Moon


オッサンになった今は
厨二病的な十代の彼の言葉をいぶかしく思っていただろう
オトナの気持ちがわからないでもない。

十代の若者の自己陶酔的で強烈なまでの鋭い言葉。
それがライブ特有のアオリ文句ではなく
本気で言っている感じがよりいぶかしかったのだろう。

ただ当時の彼はMCの言葉通り本当にそう思っていただろうし
中学生のボクはその言葉通りに受け止めていた。

後述しますがボクが尾崎豊さんの新譜は買い続けていたものの
曲をあまり聴かなくなったのは彼が亡くなる随分と前の事だ。
だから昨晩放送された
「復活 尾崎豊 YOKOHAMA ARENA 1991.5.20.」は初めて観た。
そこでの彼のMCを聞いて
「あぁやはりあの頃の彼は誠実な言葉を語っていたんだ」と
なんだかウレシく、そしてつらい気持ちになった。

二十代の彼のMCには十代の頃の過激の言葉は無く
とつとつと自分自身の考えを吐露しファンに語りかける。
その言葉は「優しい」とも受け止められる内容だったが
ボクには非常につらく見えてしまった。

十代の頃語った
「笑いたい奴は笑え、俺を信じる奴はついてこい」という言葉の
責任を取るかのごとく自身の成長から生じた矛盾を抱えたまま語る。
無責任に演じ、煽る事だって出来たハズだろうに…。本当に不器用な人だ。
しかし不器用だったからこそ彼の十代のMCがあり
ボクはその姿に惹かれていたのだから
二十代になっても不器用なママの言葉を語る姿は嬉しかったし
同時に自らを追い込んでいるかの様にも見えてつらかった。
(残念ながらyoutubeでそのMCは見つけられず。)


ここまでも思い込みで書いていますが
以降より思い込み満載になります。

ボクが尾崎豊さんの曲を聴かなくなったのは「誕生 - BIRTH」からだ。
特に先行リリースされ、アルバム冒頭の「LOVE WAY」という曲。
パッと思い浮かんだのは井上陽水さんの「氷の世界」的な世界観。
この世界観はとても好きで詩の内容はかなり好きだったが
音楽としては時代に合わせたアップデートが出来ていない印象だった。

もちろんこれは個人的な感想で
当時の尾崎豊ファンだった友人とは
感想は対立してちょっともめた(笑

音がリッチになる事で彼の魅力であった
乱暴なまでのアマチュアリズムが
悪い形で浮き彫りになってしまうように感じて
どうしても好きになれなかった。


ボクが内容的にも音楽的にも一番好きなアルバムは
「音がリッチになること」と「アマチュアリズム」が
ギリギリのバランスで成り立っている(とボクが感じる)「街路樹」。
そしてその頃に行われたライブビデオ「 "LIVE CORE" IN TOKYO DOME」。
このアルバムとビデオはホントに繰り返し聴いて(観て)いたなぁ。

昨日の番組を観てyoutubeあさっていたらこんな懐かしい動画見つけました。
"LIVE CORE" IN TOKYO DOME 直前のTV出演。
--
尾崎豊『太陽の破片』


「夜ヒットに尾崎が出るっ」と当時録画しつつも
いてもたってもいられずTV前に待機していた事を思い出しました。

随分と時を経た今、久々に観てもボーカリストとしてかなり好き。

いろんなジャンルの歌手の方と並ぶ所在なさげな尾崎豊の姿。
全く記憶に残っていなかった番組終わりの渡辺貞夫さんと並んでいる絵。
貴重な映像ですね。

"LIVE CORE" IN TOKYO DOME / 街路樹


個々の状況は違うにしても多くの人が通う高校という
共通のバックボーンがあった「17歳の地図」は描けても
共通のバックボーンが持ちづらい「20代の地図」は描けなかったと
ボクは勝手に思い込んでいたんだけれど
改めてアルバム「街路樹」を思い返すと、
そして購入したもののあまり聴かなかった「誕生」「放熱への証」の
詩を読み返してみると「20代の地図」も充分に描けていた様に感じる。

表現の手段としての音楽は二十代の頃の彼には
窮屈だったのでは無いかと個人的には思う。
書こうとしている内容とコンポーザーとしての
成長にギャップができてしまっている印象。

もしかしたら音楽的過渡期であったかもしれない。
この後にもっと違う形の音楽に進化していたかもしれない。
はたまた音楽以外の表現を獲得していたかもしれない。

まぁそれもこれも今となっては過程の話でしかない。

彼が描く「三十代の地図」「四十代の地図」はどんなだったであろう。
音楽として発表したならどんな音だろう?
他の表現を見つけていたらどんなただろうか?

昨晩の番組を観て、久しぶりに彼の映像をあさって
そんな事を夢想してしまいました。

ボクは大嫌いになっていた可能性だってあるが(もちろんその逆も)
それでも彼が何を語るのかは興味を持ち続けていた気がする。

26歳で彼は亡くなり自分が26歳になった時には
ボンヤリと「あぁ彼を(年齢的に)越えて行くんだなぁ」と思い
今はオッサンになり性格も体型も丸くなった。

正直この歳になると
十代の頃、その内容を暗記する程好きであった
尾崎豊の言葉は気恥ずかしくもなるのだけれど
そんな気恥ずかしい想いと同時に当時の自分が思い出される。

そして当時の自分に思うその気恥ずかしい想いを
彼自身が「矛盾」という形で内包し
観ているコチラがつらくなる内容の二十代のMCを聞いて
十代のある時期、尾崎豊を好きだった事は良かった。

そんな風に思いました。